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本当の本当
 誤解されやすい、というのはウソである。

 誤解しやすい、というのは当たっている。

 誤解されやすい、というのがなぜウソなのか、といえば、それが隠れ蓑になるからである。

 自分にとって都合の悪いことを相手のせいにする。そのために「されやすい」という定義の仕方は有効に使えるのである。

 誤解しやすい、というのは、早合点のせいかその人の性格のせいか、情報に乏しいせいか、誇張されたイメージばかりを知らされているせいか、ともかく、いろいろな原因が考えられる、誰にでもありうること。誤解とは、それなりにでも理解しようとするからこそ生まれるもので、本意不本意を問わず、最低条件として、その事柄や人物になんらかの関心を持っているからこそ、起こることである。

 誤解されやすさ、とは、救いがたい甘えである。

 タカをくくり、理解することを放棄し、自己保身、自己愛にのみ執着しているからこそ、されやすく、なるのである。

 また、そのように仕向けているフシもある。

 そのように仕向けるのは、やはり自己保身のため。見かけだけで判断するな、と言っているガキと同じく、本当は見かけだけで判断されて御の字なのである。

 見かけだけで判断されず、中身で判断されて立ち直れるのか。何も無いことが暴露されて、一番困るのは本人ではないのか。その自覚のないものをガキと言う。邪悪性の強い者は、必ずしもそういった単純なガキではないから、狡猾に、自分に不利になるようなことを、うっかり口にしないようにと心掛けている。

 いつまでも自分だけはピュアでいたい人間、特に男が、平気でそれをする。

 自分の性欲は仕方のないものだと言って欲しがっている人間。肉欲ではなく、あくまで愛情なのだと装いたいがために、自分の仕方のない性欲を相手に理解させようとするために、誤解されやすい人間という自分に自惚れたまま誤解を解こうと動こうともせず、母性本能に訴えかけるのである。

 誤解を解こうとすることを、ムダ骨とタカをくくる人間。必ずしもすべての人間がお互いを誤解なく理解しあえることなどないのだ、と一般論と具体論を平気でごちゃまぜにする人間。ヘタすれば、必ずしも理解しあえないことを憂いたりもする呆れ果てた自惚れ屋。

 一皮向けば、びっくりするくらいにガキである。ガキであることを指摘されたくないがゆえに見てくれをガキっぽくする。見かけで判断しているのだ、と誤解を誘うため。ガキのような見てくれとは、必ずしも派手なものではなく、前髪をまっすぐ揃えているような地味で部分的なものかも知れないし、頼まれてもいないのに何がしかに反抗心、屈しないつもりらしい気負いを背負い込んでいるような臭いかも知れないし、やたらに慇懃で相手に息つくひまを与えないような態度かも知れないし、とにかく、誤解される側の自分ではなく、する側の相手の問題なのだと、しようしようとしているのでひと目でわかる。

 けれど、ひと目でわかってしまうのは罠なのである。印象だけでわかったような気にさせられると、計算ずくの本当の部分はそれとは違うので、見かけだけで判断してしまったのでは、と思わされてしまう。邪悪性を悟られないために、ほとんど天才的に、そういった類の人間は計算ずくで善意的であるから、まじめに考えていると引っ掛かってしまう。

 そういった類の人間、極度に悪気を感じさせられることに怯え、ほんの些細なことでも絶対にそれを認めず、一旦は堂々と認めた素振りはしても、それは話の矛先を別なものに向けるための猫騙しでしかない人間は、どういう人間を身近におきたがっているのか。

 頼まなくても責任を取ってくれる人間、頼まなくても自分の代弁をしてくれる人間。しかも美人。なぜ美人かと言えば、それが「誤解されやすさ」に加えたもう一重の盾「嫉妬心」に訴えかける手段として利用できるからである。

 ひと目で見て、この人間はインチキだ、とわかり、隣にいる美人を見て、美人だ、とまじめに取り合っていたら、すでに二重の罠にかかっていることになる。正しくは、インチキな人間といる女、と、自分が勃起するのは女のせいで本意ではないのだ、という欲求と言い訳のみの塊が肉をかぶっている男、ということができるはずである。

 ガキは見てくれ通りガキである。本当の本当、ウラのウラは表である。

 なぜ美人がひっかかるのか。自分の言い訳を、他人の代弁者として他人事のように話すことが出来る上、性欲を満たすための肉便器として便利だから、に他ならない。
| 邪悪性 | 21:46 | comments(0) | trackbacks(1) |
嘆きたがりの正論
 なんでだよ、どうして、と最初から嘆きたいだけの性質。

 それでいいのか?と相手を苛むように口をひらくのが特徴。ひがみっぽくも見える。

 美人は男によくこうされるかも知れない。束縛しておきたい人間が、本当にそれでいいのか?と責めることで、相手を自分の手元に置いておこうとするやり方。

 嘆きたがりは、自分で話を構築することが出来ない。自己を守るために、ああしてる、こうしてるなど主に仕事など社会的活動をひきあいに正当化を図る。

 その他、努力している頑張っている、など情的なことを強調したり、つもりじゃない、などあくまで善意的であることを言いたがったり、とにかく話をしない。

 喋らそうとはするが決して自分は喋らない。言葉は口にしていても、その終わりは決まって疑問符である。

 なんで、どうして。初めからそれしか言っていないのに、不感症なのか、本人は気付かない。

 その間に挟まる正論。と言っても、ああ言ったじゃないか、こう言ったじゃないか、それなのにどうして、と嘆くのに都合のいい部分だけをかいつまんで相手にぶつけるだけのこと。たら、れば、などを使い、頼まれてもいないのに、誰かの代弁者気取り、要するに自分の口にすることを正当化したいがために居もしないひきあいを出して、野次と同レベルなことを臆面も無く吐いたりする。

 要するに共感者が欲しいのである。ただそれだけを目的としている。

 売名行為であることないこと雑誌に暴露するような人間と同じ。
| 邪悪性 | 06:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
中身を見ないひと
 中身、内容より権利、マナー、プロ意識、常識、あいさつ、態度。

 それら誰にでも何にでもアテはめられること。

 それしか言っていないのに、

 「誰にでもあてはまるような当たり前のことを、あなたは出来ていないんでしょ」

 などと言う。気が大きくなっている。

 そういう人間は、

 誰が口にしても外れようのないことしか言っていないこと

 に気付いていないのだ。

 アクドイ銀行のようなもの。

 経営の中身ではなく、担保になる資産だけを見る。それが仕事で、そうしなければ自分の首がとぶかも知れないリスクがあるだけ、まだマシか?

 イニシアチィブとして、権利を盾に取ったり、他人を責める口実としてマナーや意識、悪者になりたくないだけで前もった警告をべたべた。

 まずイニシアチィブを取ってから、気分次第の裁量を振るいたがる。まず最初に、相手と自分の立ち位置を決めてしまおうとする。ほんの少しだけでも自分の方が上になれるよう、、

 根性論は誰にでもアテはめられる。インチキ占いと同じ。うまくゆかなければ「心構えが間違っている」うまくゆけば「私の言う通りにしたおかげ」

 余談だが、インチキ占い師の某女史は、みんなのために自分が悪者を買って出てやっている、と考えているのだろう。もともとアクドイのに「あえて」と開き直ることで、自身を正当化しているにすぎない。誰も頼んでやしない。

 カン違いで気の大きくなる人間は、みな、外れようのないことを盾にし、自分がその程度のことしか言っていないことに気付かずに、相手の様子ばかりを眺めている。その目は、子供のような自然な疑問のそれではなく、自分の正しさに同意させたいだけの猥褻な目つき。空気だけで、相手に相手自身への疑心を抱かせようとする狡猾なもの。

 誰にでもアテはめることの出来るようなことを、特定の人間相手に口にするのはオカシナこと。それが平気なのは、目がfusianasanな人間。個人的感情と一般論の区別がつかず、なぜかわざわざ一般論へとすり替えようとする不思議な人間。

 どこでもかしこでも同じことしか言わないのだから、べつにわざわざそこに居てくれなくともよい。

 一般論なら誰にでもあてはまる。誰にでもとは、口にしている本人にもあてはまる。それとも、本人は特別でそこいらの一般人ではないと言うのか?常識をブリたがる人間を常識人と呼べるのか。誰にでもアテはまるようなことを口にして、誰かが、肩書きも権利もなにも持っていないお前を個人として必要だと言ってくれると思うのか。

 イカレタ自動販売機。fusianasanの検査機関。勝ち組の化けの皮。
| 邪悪性 | 05:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
疑いの目で見ている人間
 見られて動揺する人間は、何か疑わしいところのある人間だと割り切る人間。

 心当たりがあるから嫌がるのだ、と割り切る人間。

 自分の疑い深さを隠すための当てこすり。少しでも疑念のの気持ちを持ちたくない、自分だけは。持つとしたら、誰かに持たされることしかあり得ない、と身勝手に割り切る人間。

 極度に悪気を嫌うのは邪悪性の特徴。一番図星を指されて困るところを、指される前に、相手の図星を先に指そうとしているだけ。

 どこの宗教に入っているのか、と思わせるような見かけかも知れない。いちいち、人の気をはぐらかすような態度を取るかも知れない。自分は集中しているのに、というフリで、他人を邪魔者扱いするかも知れない。

 相手に抗議的な態度を取らせるような人間。身勝手な割り切りに人を当てはめたがっているだけ。抵抗する人間を自作自演で作り、自分は身勝手に主人公になる。

 わざわざ人に不満をもたらす。わざわざ消化不良をおこさせる。極度にフラれるのを怖がっている。

 フラれると傷つくから、フラれる前に自分からフッてしまおうとする。実体は逃げてばかりの人間。見かけや素振りは関係なく、本質的に逃げてばかり。最終的には、寂しさ、心細さを盾に取る。

 人間関係の恐ろしさは、悪気の押し付け合い。不満の押し付け合い。悪気を感じやすく、不満を溜め込むようなタイプは潰れてしまう。世の中の道徳には「人の目を見られない人間には疚しさがある」「不満は、気の弱い奴が勝手に溜め込むもの」という不文律が含まれているから。

 これらに疑問を抱かない人間。抱いていても、逆手に取り、他人に押し付けることでことを済まそうとする人間。

 話もロクに出来ないのに、ポーズばかりなのは、悪気を押し付けようとしているにすぎない。わざわざ目を隠している人間も同じ。後者は「人を見かけで判断してはいけない」ということを逆手に取っているだけ。身勝手な割り切りで、人に消化不良を起こさせているのに、目を見ないというポーズだけで自分のことを判断するような奴なのかどうか、疑わしげにこちらを伺っているだけのこと。

 話をロクに出来ない人間は、不満ばかりを口にする。相手に喋らせようとばかり。納得させてもらおうとばかり、身勝手な割り切りに同意、承認させようとばかりする。

 割り切りは、他人になにかを提供するために必要なこと。仕事や社会生活。他人を押しのけるためでも、欲張るためでも、気取るためでもない。提供するためには、提供する側としての役割を果たさなくてはいけない。

 果たしさえすればいいのか?それだけの役と見なされるだけだから、よいのである。人間と見なされるかどうかは別。

 ある程度の割り切りは必要なもの。誰でも自然にしているはず。

 上にあげた道徳の不文律は、もちろん嘘である。手早く他人を割り切り、早く自分にとって有益な人間を見つけ出そうとする「早いもの勝ち」の風潮のせいで生まれたものにすぎない。

 敗者復活の難しい世情が、少しでも自分に傷がつくのを拒む風潮を生み、ヒステリックさを助長し、手っ取り早く善人になるために悪者作りに勤しむ人間を生み出してしまう。

 それが現実と言えば現実。どう割り切るか、それぞれだが、役としか見なされず、人としては愛されないかも知れないことも、同じ現実。
| 邪悪性 | 14:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
見えるか見えないか
 見えるか見えないかだけの話。存在はする。

 邪悪性は存在する。多かれ少なかれ誰にでも、と言えばそれまでの話。見えるか見えないか、によって、付き合うことになるかならないかは違ってくる。

 見えなければ付き合えるはずもなく、過剰に頭を悩ます必要もない。

 つまらない宗教でも、ネガティブな考え方をポジティブに変えれば、世の中は違って見える、というのは一理だけある。しかし、善意の中にこそ本当の悪意は潜んでいる。凶悪な犯罪者は死ぬまで、自分の犯した罪を悪いこととは感じないかも知れない。

 無感覚になり逃避するのではない。そんなものは1人を幸せにはしても9人を不幸に陥れる。くだらない宗教とはそんなもの。悪いの反対は善い、と思い込んでいるだけのこと。悪いの反対は2倍悪いかも知れないのに。

 存在とは具体性を持ち得ないもの。気分も考えも、どんどん変化する。それによって雰囲気もころころ変わる。ただ存在するものについて見えるのはそれだけ。

 ひとりでは雑談が出来ない。雑多なたわいもない話が出来ないと、理屈をこねるしかやることはなくなる。聡明になる人もいるかも知れない。ならない人もいるかも知れない。仮に聡明になったとしても、その聡明さは人と関わることでしか発揮されない。全く関わらないのなら、なんの賢さも必要ないのだから、聡明になる必要など全くない。バカであることが一番の聡明である。日本語すら知らなくてよい。

 関わること、頭と現実をつなぐものは、行動しかない。言葉を発すること、身体を動かすこと。行動がなければ、いつまでも頭と現実はかけ離れたまま。決してリンクしない。

 生きているとは、肉体を伴っているということ。頭だけなら、肉体を伴わなくてもよい、もしかしたら伴わない方がよいかも知れないと言える。頭だけを使って見る世の中は、世の中の反面でしかない。少なくとも、肉体を伴うという次元において、半分の機能しか使っていないのだから、50%以上にはなり得ない。

 見えるものの程度は変えることが出来る。全く見えないように、などというのは2極的な考え方で、わざわざ善悪を作り出し、自分を善とするために悪を探そうとする思考に陥るだけ。なぜなら、その方法以外、全く見えないようにするというのは不可能、そもそも不自然なことだから。

 見えないものは、特別に意識しなくても見えやしない。見えていないことなんて山ほどある。

 行動なんてたいしたことではない。話す、動く。喋りながら歩けばことは済む。

 邪悪性がなくなることは恐らくあり得ない。だからと言って、それでおしまい、というのは、くだらない宗教と一緒。
| 邪悪性 | 12:35 | comments(0) | trackbacks(1) |
プチ善人
 宝くじをバラで買う。連番で買うのは、欲張りだと言う。

 なぜ欲張りかというと、前後賞までひとりじめしたいから、と言う。

 バラで買う人間は、そんなに欲張りではない。夢を買う、買うこと自体が楽しみなのだ、と言う。

 中途半端な善人。自分も十分欲張りなのに、相手をより欲張りにすることで、自分の欲を隠すために人を使う。

 欲はよいようには取られない。なぜ取られないのか。中くらいの人間が一番だと思いたいがため。

 中流の宗教。上と下を切ることでバランスを取る。

 一理あるように思う。けれども、その程度とやり方。

 結局は、何も言わずに済む立場でいたいだけ。達観も出来ていないのに達観視したいだけ。

 部外者ですが、ちょっとひとこといいですか?のような首のつっこみかた。人に影響を与えたいだけ。わいせつでしかない。

 表面的な印象を、もともと持っていた相手への感情を正当化するためだけに、ちそつな批評をする。本人は何かを言った気。もともとの感情に少々肉付けした程度の言葉。あてはめたいのは勝手だが、嘆きたがっているのはどういう訳か。

 1番になりたがっていないだけで善人??ただ単に、目立てば損をすると思っているだけである。十分欲張り。
| 邪悪性 | 01:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
人の気を曇らせる人間
 イメージするだけで曇った気分になる人間。それは自分の気と同調させようとしている人間である。

 必ず善意的である。悪意でさえなければよいと思っている。自分の中に芽生えるものはすべて悪意ではあり得ない。自然な仕方のないものだと思っている。

 欲求と意思の分別が出来ない、それだけの人間。分別がつかないのはバカである。それを他人に選り分けてもらおうとするのは邪悪である。

 率直にものを言う。当たり前の話。判断するのは相手である。自分ではないのだから気楽なもの。

 欲求が受け入れられないと腐り始める。自己陶酔する。なぜ陶酔するのかというと、過去の受け入れられなかったことを思い出すからである。そして、こんな奴も世の中にはいるのだ、と相手を軽んじる。気はもう、そこにない。相手を素通りして、過去の相手、その時の自分の心情に目を向けている。自己陶酔に入り、今目の前にあるものから気を逸らせる。なんの抗議も通じない。

 本人は腐り始めたなどと当然、思わない。陶酔しながら性的な匂いを放ち始めるだけ。そこでも我慢はしないのである。性的な行為でストレスを発散するのに場所を選ばないのである。人前だろうがどこだろうが、オナニーをしたくなったらすぐにする。気狂いである。

 自分では相手を軽んじるのに、相手が自分の気に気付かない、同調しないと執拗に抗議を続ける。自分の中にたまったストレスは、気付く者へと向けられる。それが女であれ男であれ、気付いた人間を軽んじることでストレスの移植は簡単に出来る。背負ってるようなフリは他人をひっかけるため。かかった相手が気に入るなら影響を与えようとし、気に入らなければゴミ捨て場にする。

 どうしてそんな人間が生まれるのか?異性の評価があるからである。異性間であれば利害がぶつからない。ゆえに、異性だからタチが悪くは見えないだけ、の錯覚を起こさせるのである。

 同性だからタチが悪いと感じ、異性ならべつにそう感じない。という思えるような相手はタチが悪い。単純にもちものの違い、それに対する興味というレベルでなく、性質として。なぜかといえば、その人間は性的な匂いを盾にしている人間だからである。ひとの気の迷いにつけこむのに性は有効な手段である。誰でもひとのことを悪くは思いたくないもの。曇ったイメージを持ってしまうのは、悪く思いたくない気持ちがあるからである。その迷いにつけこんで、性的な匂いを感じさせれば、相手を悪く思うのは嫉妬心であり、よく思えないのは性的な嫉妬心にとらわれているからだ、と迷っている人間に錯覚を起こさせることが出来る。混乱させ、自分の都合のよいように、相手をゴミ捨て場にするのは当然のことなのだと相手に認知させるために、そうするのである。

 曇らせる人間はどうなるのか。おそらく老けるごとに惨めになるはずである。性的な守りも効果が薄れ、気を逸らそうが陶酔しようが、そばにいる人間ほど飽きてしまい見抜いてしまう。見抜かれればおしまいなので、別の場所に逃げようとしても、、

 けれども一番惨めになるのは、そういうタチに人間に付き合う人間である。自分からパートナーとして選んだのなら自業自得で救いはない。

 〜〜

 性的な魅力に乏しいタイプ。あきらかに男に限った話である。女の子のナイトになろうとしたり、ムードメーカーになろうとする。目的は自分の周囲での性の抑制にある。善意的であることを人格的なベースにしようとする。目的は自分を快く思わない人間に悪気を感じさせることにある。善意的でさえあればよい、と割り切るのは人格放棄である。すでに死んでいる哀れな人間。存在に気付いて欲しくて、霊感の強い相手を探してうろついているのである。
| 邪悪性 | 15:02 | comments(0) | trackbacks(1) |
自立のウソ
 自立心、自己責任、これらの言葉はウソである。

 なぜなら、集団から外れた者に対してしか使われないから。

 要するに「非国民」と言っているのと同じである。兵隊の発想。平等、不平等などの意識も同じである。不平等感のはけ口として、集団に属さない者、従わない者を非国民扱いするのである。スケープゴートを使うことでの秩序の維持。自立した人間の発想ではない。

 どうしてそんなことになるのか、といえば、上に目を向けさせないためである。集団を支配するために、不平不満のはけ口を下につくる。昔の話ではなく、しっかり今も、根付いたまま続いている話。ただ、アプローチの仕方が「施し」に変わっただけ。

 理屈がひとり歩きし、言葉尻を捉えてばかりの批評家が増え、勝ち組になれるのもわずかだと知るようになった現代では、皆、自己保身に懸命である。最も簡単な自己保身、自己肯定の方法は、よそに悪者を作ること。それも共通の悪者であれば、理由さえもいらなくなる。

 不安から、自分の意図するような感覚を相手に抱かせよう、とする場合がある。自分の意図する感覚とは、相手に抱かせたい自分へのイメージ。自分が納得したいがために、相手に抱かせたい感覚。そういう人間はたいてい何も喋らない、喋れない人間である。喋らせようとはするが、自分の言葉を持たないだけの人間。

 自己保身の仕方が汚い、ということ。実は集団に属している方が、自立心などいらないのである。自分なりの考え、言葉を持たなくても済む。そうした人間の自己肯定化のはけ口は、もっぱら集団から外れた者に向けられ、自分はそうではない、ということだけを頼りに、自身を保っているのである。

 アプローチの仕方が施しとは、直接的に非難すると非難した自分が悪者になる恐れがあるので、そうではないとエクスキューズをつけるという意味。多数を当然とし、少数を異常と見れば、責任も理由も少数に押し付けることが出来る。あとは、わからない、と言い続ければよいだけである。わかりたいのか、本当に知りたいのか、そんなことはどうでもよく、ただ生理的に、ただ自己の正当性を保ちたいがために、はけ口として使うのである。

 これらは誰にでもある感情、心の動きかも知れない。けれども、するかどうかは全くの別問題。

 自立や自己責任などと巷で言われるのはウソでしかない。最悪の場合、集団ヒステリーでも起こしかねない、ヒステリーを容認させるための前提にしかなり得ない。
| 邪悪性 | 03:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
ひとりあるき
 マナーや礼儀はよいに越したことははない。ハズレのないこと。どんな人間が口にしても正しく、目をつぶってでも言えること。

 邪悪性は正当化できる盾をかざしながら発揮される場合が多い。その典型的な例、最も使いやすい盾が礼儀である。

 礼儀やマナーが出来ていない、という発端から悪口は始まるもの。もちろん、本当によくない場合もあるだろうが、反論のしようのない理屈をだらだらと並べているのは、その実を言えば、ただ単に自分を認めてもらいたがっているだけなのであり、端的に言えば甘えである。

 それを、あなたのため、などとすり替えて、自分の意図するような承認を得ようとするのは立派な邪悪者である。みんなのためと称して、代弁者を気取るのも同じこと。自分の所在をハッキリさせないのである。ハッキリさせないことで、するすると自分に課せられる問題から逃げているだけなのである。

 以前にも書いたと思うのだが、伝えるということ。自分が感じさせられるのを嫌うとか、自分がブレないためとか、そういうことではなく、伝えるという心構えがあるのか。まったくマナー以前の問題である。人と話をするときには相手の目を見るのが礼儀、というくだらない教えで例えれば、目は見るが話はしない、ということと同じ。本質がぬけているのに、形式をこなせるというだけで、礼儀を守っていると考える、バカらしさと同じ。

 本末転倒なのである。どうしてそうなったのかは、やはり教育や環境が悪いのだろう。もともと、親や大人が自己の承認を子供に求めすぎるのがいけないのかも知れない。格好ばかりつけすぎなのだ。

 ハズレのない理屈はひとり歩きを始め、その理屈が通るか通らないかは、すべて、権限のあるなしに関わってくる。ハズレがないのだから、どちらかが強くてどちらかが弱い立場なら、弱い立場の側が承服せざるを得なくなるのである。そうしなければ居場所がなくなる。そういったくだらない理屈で自分の身を守ろうとするのは、小者であり、おやまの大将になりたがっているだけのこと。裏を返せば、自信がないのである。自分で判断する能力がないので、他人に承認を求めているのである。

 あるサイトを覗いていたところ、注意事項らしきテキストリンクに「必ず読もう」と書いてあった。余計なお世話である。そのサイトは頭から、赤字で警告めいた文を書いていたりして、気味の悪い感じだったのだが、必ず読もうのうっとうしさには閉口した。自分のサイトに来る人間をどう見ているのだろうか。どうしたら、そんなに傲慢になれるものなのか。

 仮にお店を開いたとして、来る客のすべてがよい人とは限らないだろう。中には万引きをする人もいるかも知れない。仮に100人中1人が万引きをするとすれば、1人は黒で99人は白ということになる。そこで、考え方として、1人の黒にばかり気を取られると、1人は黒で99人はグレーということになる。予め万引きをする人間が誰かはわかっていないのだから。

 99人をグレーと見なすことに何の意味があるのか。答えは、万引き犯を捕まえよう、排除しようということである。どこにいるか、いつ訪れるかわからない相手にいつも警戒の目を光らせているのは、そういう意味しか持ち得ない。一体いつから、そんなに偉くなったのだろう。店員が警官に、身勝手に成り代わっている。それともただの小心者なのか。

 1人は黒としても、現実、99人は白なのである。仮にお店を開いたとするなら、99人への考えを優先させるのが当然なのではないか。本末転倒なのである。もともと何になりたいのか。お店を開いたのは、警官を気取るためなのか。

 要するに判断やものを考えることを避けているだけなのである。めんどうなことは先に相手に意識させておいて、なにか不都合があれば、予め警告しておいたのに、と言いたいだけ。自己を保身するため、予め相手の承諾を、一方的に得ようというだけである。

 そうした意味で、マナーや礼儀は絶好の盾になるうるのである。それを平気でこなせるようなことを、傲慢さというのではないか。不安を解消したいのなら、もう少し努力をすべきである。
| 邪悪性 | 05:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
気に入らないものには、そうじゃない
 自分を擁護するもの、気に入るもの、それならば文句を言わない。しかし、自分にとって都合の悪いもの、気に入らないものには、そうじゃない、と自分への理解の足りなさを示唆する。

 支配されたがっている人間。自分のぬけた人間。幼い時に、親や大人に支配されていた、もしくは支配的だと感じていた人間が、自己の欲求の芽生えとともに、それを自分を擁護するための理由として使い、自己の欲求だけを叶えようとする人間。

 本質的に支配したがっているのである。ただ、それが叶わないことに不満があり、卑屈に内面的にひきこもっているだけ。自分の欲求は、支配されていたがために起こるもの、具体的には、さみしさ、理解されていない思い、などが引き起こすもので、仕方のない欲求だと片付ける。

 誰にでもあてはまる、外れのない理由ばかりを探している。とにかく自分にだけは矛先を向けられたくないから。

 欲求が受け入れられなければ、不満を訴えるために、相手の頭を使おうとする。そうじゃない、簡単にまとめすぎている、お前の考えているようなことでは不十分だ、本当にそれでいいのか、お前はそれでいいのか。

 もともと自分がぬけているから、いつの間にか話がすりかわっても平気なのである。自分の問題であるのに、相手の理解の足りなさの問題にすりかえている。自分な支配力を試したい、影響を与えたいだけである。

 気に入らない相手、ものごとには、そうではない、という態度さえ示せば済むと思っているから、逆さに向けられないために、自分への違和感を持つ者を徹底的に排除しようとする。軟化した態度を示すこともあるかも知れないが、そこには、本質的な思惑がありすぎるため通じない。通じなければ、自分は努力をしたのだ、ということを盾に、相手の排除を正当化する。

 もともとが卑屈。卑屈であるために、みんな仲良くなどとブッたりするが、本質的には支配したがっている。支配者になれないから、仲良くなどと言うだけのこと。結局は、幼い頃されたことをそのまま子供にするような大人になる。いつまでも自分に向き合わないのは、しなくて済むような理由ばかりを考えているため。過去の境遇を後ろ盾に使っている。

 押し付けがましく、アテつけがましい人間は、相手の義務意識を自分の支配下におこうとしているのである。やたらにマナーマナーいう人間は、外れようのないことを盾に、自尊心のお守を強要しようとしているにすぎない。マナーでも何でも、本当に理解があるかどうかは、わかりやすく伝えられること、伝えようとしていることそのもの、で違いがわかる。

 示唆して、相手の反応次第で、支配的に出ようかどうかを計るような人間は、不良かヤンキーが、言うに事欠いて言う、なんだよ、文句あるのかよ、と同じ程度のことを言っているのに気付いていない。ただの、自信のない人間、相手の頭ばかり使おうとしている人間である。

 へんに割り切るために言うのではない。へんに割り切ると、押しつけがましく、アテつけがましい人間そのものになってしまうかも知れない。

 支配されたがっている人間の本性は不安である。誰にでもあるのだが、支配者に対しての反感で紛らせてきた人間にとって、紛らせるための相手がいなくなることは致命的である。いつまでも反体制を気取っているような人間は、支配という庇護を求めつつ、欲求のはけ口としての支配的欲求を叶えたがっている。
| 邪悪性 | 02:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
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